秋の夜に思うこと
更新日:2016.09.19 カテゴリー:ブログ
敬老の日の今日、我が家では稲刈りを予定していたんですが、あいにくのお天気で断念。
台風直撃は免れそうですが、稲刈り延びていつ終わるのやら…。
あせってみても自然が相手。仕方ない。いつかは出来るでしょう(笑)
いつも素敵なつながりをありがとうございます。姿勢の先生まりりんです。
先日、Facebook友だちのお二人から、美味しい嬉しいものをいただきました!
でもいただいたのは、それだけではなかったってお話です。
Facebookで友だちが、栗が欲しい人あげるよ~って投稿してたので、ちょうど栗ご飯が食べたくて仕方なかった私は、ちゃっかりと頂戴しに伺いました。
あ~、秋ですね。・・・わたしの場合、やっぱり季節を一番感じるのは食べものです(笑)
栗って、皆さん勿論ご存じだとは思いますが、トゲトゲのイガから取り出さなくては食べられません。
あれって取り出すの結構痛いのよね。おそらく労力をかけて取り出してくれたであろう栗を、わたしは遠慮なく沢山いただいてきました(笑)ナカジ、ありがとう!!
家に帰って、さっそく栗の皮むき開始~!
小さめの包丁で、鬼皮を剥いて渋皮も取って……。
この作業、なかなか手間がかかるのですが、やってるとだんだん昔のことが思い出されてきました。
拾ってきたたくさんの栗。一度に食べきれないので、栗ご飯にしたあとは、栗の渋皮煮にしたりワイン煮にして保存。渋皮煮やワイン煮の栗は、渋皮に傷が入らないように剥かないと、煮たときに崩れてしまうんですよね。秋の夜長の仕事に、母がいつも栗の皮むきをしてくれていました。病気で出来なくなるまでは毎年、この季節になると、母の手が栗の渋で茶色くなっていたものです。
元気な頃は、日焼けて少しごつごつしていた手も、今では白く綺麗な指になってしまいました。
栗で思い出しましたが、母の実家の近くの神社には、大きなシイノキ(椎の木)がありました。子どもの頃遊びに行ったときにはシイノミをよく拾ったなあ。確か、皮付きのまま鉄の鍋で炒って、皮をむいて食べていた。その味がよみがえってきました。あの木、今もあるのかなあ……。
皮むきのことから、他にも思い出したことが。
秋が深まると、今度は柿の季節がやってきます。干し柿をつくるのに、これも皮むきがなかなかの手間です。私の祖父は晩年まで元気だったので、祖父が柿の皮むきをしていたこともあります。これも手が柿の渋で黒くなるんです。
稲ワラを編んで柿の軸をからませて、吊るし柿にして二階の軒下にぶら下げます。
大晦日にその干し柿をお供えして、元旦に家族で新年のあいさつをするときに食べるのです。「『年とり柿』といって、これを食べるのはひとつ歳をとる儀式やから必ず食べなさい」と子どものとき教わりました。
その頃は、干し柿は美味しいと思わなかったので、ひとつ食べるのが実はきびしかった。
今ならぺろっと食べてしまいますが(笑)
栗の話に戻りますが、ひとつひとつ手で剥いていくので、時間もかかるしだんだんと手も痛くなってきます。
でも、昔のことを思い出しながらやっていると結構楽しいんです。
そうやって剥いた栗で、今年初の栗ご飯 ♪
友だちからいただいたのは栗ですが、同時に昔の懐かしい思い出も一緒にいただくことができました。
炊きあがったごはんは、まずお仏壇にお供え。「今日は栗ご飯ですよっ!」って報告しながらお供えしました。
祖父、祖母、父の、微笑んだ顔が浮かびました。
栗の話で長くなってしまったので、もうひとつの美味しいいただきもののことは、また後日。